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1979年(オレが初めて台湾に入港したとき) - のうほうく丸機関長
2025/12/08 (Mon) 18:24:38
初めての台湾入港は最悪だった。
1979年台湾は日本に対して怒っていた。中華人民共和国の攻撃も怪訝されていて、夜は灯火管制が敷かれていて街は真っ暗!!…今は台湾と日本は仲が良い。何時関係が修復されたのか?
以下は、**「1979年に冷え込んでいた台湾―日本関係が、いつ・どのように修復されたか」**を、事実の流れとして分かりやすくまとめたものです。
1979年 台湾が日本に怒っていた理由
ご存じの通り、1972年の「日中国交正常化」で、日本は中華民国(台湾)と断交し、北京政府を承認しました。これにより台湾では強烈な反発が起き、1970年代後半も反日感情は根強く残りました。
・日本大使館・機関の撤収
・航空路線の再編
・台湾社会での「日本にも裏切られた」という感情
・1979年の中越戦争や中華人民共和国のミサイル実験警戒による灯火管制
1979年には台湾内部が不安定で、日本への感情も複雑でした。
関係が改善し始めたタイミング
結論から言うと、日台関係は 「段階的に」修復され、決定的に改善したのは1990年代以降 です。
【第一期】1979〜1980年代:民間・経済ルートによる「静かな修復」
日中断交の翌年(1973)にはすでに非政府組織「交流協会(現・日本台湾交流協会)」 が設立。これに対して台湾も 「亜東関係協会」 を設立し、事実上の「大使館的役割」を維持しました。
改善のきっかけ
・1979:台湾関係法(アメリカ)。台湾の安全保障が安定し、日台も落ち着く
・1980年代:日本企業が台湾に大量進出(電機、機械)
・生活・経済レベルでの相互依存が急速に深まる
政治的には距離があったが、経済で結びついたため、怒りは徐々に薄れていきました。
【第二期】1990年代:李登輝の登場で一気に融和
決定的な転換点は 李登輝総統の登場(1988〜2000) です。
李登輝は親日的で
・日本留学経験
・日本語も堪能
・日本文化への理解が深い
さらに台湾の民主化を進め、日本での評価が爆上がりしました。
主な転換点
・1990年代、日本と台湾の首相・与党議員が非公式訪問を開始
・1999年:921地震で日本が大規模支援 → 台湾社会が深く感謝
1990年代こそ、日台が「本当に仲良く」なった時代と言えます。
【第三期】2000〜2010年代:国民感情レベルで完全に友好へ
2000年代に入り台湾で民主化が定着。日台は「価値観で結ばれる関係」へシフトしました。
重大な出来事:
・2011年3.11:台湾が世界最大規模の義援金(250億円以上)を日本へ
・日本の世論が「台湾=恩人」として認識
・観光交流爆発(年間約400万人規模)
【結論:修復したのは“1980年代〜1990年代”、決定的に友好になったのは“2011年以降”】整理するとこうです:
状態 キーイベント
時期:1979
状態:台湾は日本への怒りが強い
キーイベント:断交の余波、灯火管制、対中緊張
時期:1980年代
状態:静かな関係改善
キーイベント:経済関係の深化
時期:1990年代
状態:友好へ大きく転換
キーイベント:李登輝、民主化、921地震支援
時期:2011年以降
状態:国民感情レベルで最高
キーイベント:3.11義援金で日本の一般人が台湾を「特別な友人」と認識
「怒り → 融和 → 友好 → 特別な関係」こういう流れで今日の親密さが形成されました。